少しずつ、心がマヒしていっているのかもしれない話。
ちょーーーーっと、このままではあんまり良くないのだけど、現状、これ以外の方法が見つかっていないような話を少ししようかな、と。
私は『極力、イライラしたくない』という気持ちが中心にドーンとあるような人間なんです。
イライラしたり怒ったりすると疲れるし、それを解消しようと悪く言ってしまったり愚痴ったりすることが好きじゃないし、何よりそういう気持ちが、その人の顔や性格に表れてしまうと考えているタイプなので、イライラしないように楽観的に生きるようになった経緯がある。
でも、社会人になるとそうはいかない場面が多くて、毎日毎日なにかとあるわけですよ。あっちの事情、そっちの事情。こっちの気分にあっちの気分。言い分も、立場も、重要性の違いも、人数分ある。
なので、もちろん私の立場も、言い分も、気分も、体調も、いろいろある。でも!!私は『極力、イライラしたくない』わけなので、そういう「ハァ???」と思うような場面でも、ストッパーをかけてしまうんです。
以前どこかで、「期待しているから、その期待に反した行動を相手がとったことで怒ってしまう」みたいな言葉を見たときに「あ〜、なるほど確かにね。」と納得したんですよ。
「この人なら、〇〇だからこのくらいはやるはず」「その立場の人なら、ここまでは考えてくれるはず」…と、勝手に期待している私がいる。そりゃあ、思うよ。私以外のほとんどの人たちは、この会社に10年近く、またはそれ以上いる人たちばかりなんだから。
でも、そうじゃないのよ。どんなに大人だろうが長年いようが、完璧人間じゃないんだから。勝手に期待してる私がバカ。なので、期待しないこと=イライラしない!という方程式を私のなかの結構中心の方に植えつけしまったというわけ。
すると!!!
イライラはしないけれど、なんか人として大事な部分が少しずつ欠けていっている気がするです。「この人は、ここまでは気が回らない人だから、これを期待しちゃいけない」「この人はこっちのことを考えない人だから、これを期待しちゃいけない」…なんて、マイナスを前提で人と向き合うことほど、悲しいものはないな、と感じるようになった。
期待されない、って悲しいことなんですよ。
だけど、現状、私はこの方法しか見つけられていない。
少しずつ、心がマヒしていっているのかもしれない話。