バカなくらいでちょうどいい

私を構成するものをツラツラと。

山あり谷あり、喜怒哀楽。

突然ですが、私が思う『人間らしさ』とは…『楽せず生きること』だと思ってます。

 

なんでそんな話なのかと言いますと、先日宗教の勧誘を受けまして、その時の誘い文句に引っかかる言葉があったんです。その人たちが何度も何度も口にする「〇〇を唱えれば幸せになれる、今悩んでいることも解決する、楽して生きていけるのよ」…と。それを聞いた時に、『悩みもせず、楽して生きることになんの価値があるんだよ』と思ってしまったのが本音。実際言い返しちゃいましたけど(笑)

 

そりゃあ、楽して生きれたらいいな〜とは思いますよ。面倒くさがり屋なので。1日中お家にいてダラダラとか最高でしょ。でも、そういうことじゃないんでしょ、そういう楽じゃないんだもんな〜。

 

生きている以上、人と向き合って過ごしていくのだから、悩んで当たり前、すれ違って当たり前、ぶつかって当たり前。そう思ってます。

そうやって、傷ついて傷つけて、失敗することの方が多いんですけど、それすらも私をつくる大切な一部になっていくのだと受け止めている。

できることなら、傷つきたくないし、傷つけたくないし、幸せにニコニコ笑っていられたらいいな〜と思うけど、それって正直気持ち悪くない?まるで感情や考えがないみたい。

 

 最近の私はというと、仕事で失敗するし、失恋引きずってるし、成績不振だし、将来見えないし、正直いいことなんかない。

でも、楽になりたいかと問われるとYesとは言わないだろうな。だって、この悩みを解決するのは『私』なんだから。何かを唱えたり信じたりしただけで、ノルマ達成したってなんの面白味もないしな〜(笑)どうやったらあの人に好かれるか、どうやったら商品を売り込めるか、これを試してみよう、こうしてみよう…失敗してまたしんどくなるかもしれないけど、この方が『人間らしい』と私は思う。

 

ダラダラ書いたわりに、何を伝えたいのかサッパリまとまっていませんが、要は楽して生き着いたところには、何も待ってないと思うんです。悩みやストレスがあるからこそ、見えることの方が多いんじゃないかな〜と。だからって、死にそうな状態まで無理して自分を追い詰めるのは全然違う話。

 

ほどよく悩んで、ほどよく失敗して、あーもう無理だ!ってなったら少し休んで。また、いっぱい笑えれば十分。悩みが全くない人生なんて味気ないでしょう。スパイスだと思ってるくらいがちょうどいいんじゃない?その方が人間らしいと、私は思ったんです。

 

山あり谷あり、喜怒哀楽。

 

 

失敗だって意味がある、成功するかはわからないけど。

あっ、と言う間に気づけば9月でした。こんばんは。

 

今日は久しぶりに『やっちまったーー!!』っていう失敗をしちゃいました。しかも結構なやっちまった感でして、肝を冷やすとはこういうことか…と実感してしまったほど。

座ってるのに、足が地面についてない感じがして、みぞおち辺りがヒヤ〜っとしてくるあの感じ。初体験。それでも、頭だけはフル回転させてなんとか持ちこたえようとしたけれど、ダメダメ。少し時間をあけて、頭冷やしてからやっと自分の至らなさに向き合えた。

 

営業って、難しい。

『私そんなつもりで言ったんじゃないのに…』なんて気持ちが邪魔して一瞬認めたくないんだけど、そんなことお客様には関係ないんだから。結局迷惑かけて嫌な思いさせてちゃよくない。対''その人''で言葉選んで、話すスピード変えないといけないのに、今日は少し力み過ぎた。数字が見えかけてたからこそ、普段なら口にしない余計なことを口にしてしまった。そこからの拗らせ。悔しいけど、すべてが自分の未熟さ。

 

…そして、やっちまった失敗を反省していると気づいたことがひとつ。入社して2年5ヶ月、引きずってしまうほどの失敗って、少ないな〜ってこと。それって、裏を返すと『失敗をしたくないあまり、自分から挑戦してないってこと?』な〜んて思ってしまったわけなんです。

 

今までの失敗談振り返ると、原因はその時々だけど、どの時も『なんとかして数字取ろう』として躍起になってたタイミングな気もする。今回もそうなんだけど。

それに気づいたら、『あの失敗をしたから今ちゃんと出来てることがある。今日の失敗も次へのプラスになるのかも』と、沈んでた気持ちが少し浮上した。

 

”今、その失敗ができてよかった。

まだまだ間に合うタイミングで、いい勉強になった。次はそんなヘマしないよね。”

 

そう、受け止めることができた。

お客様には迷惑かけちゃったけど、その申し訳ない気持ちも、周りからの厳しい言葉も、全部全部糧にしないといけない。じゃないと、余計に申し訳ないよね(笑)。

 

今日の一件を受けて、私【失敗ノート】を書くようにしようかな〜と。なんで今まで書いてないんだ!!って思われるかもしれないけど、今日から書くんです。そのために100均で可愛いノート買ってきたんです❤︎

失敗談と原因と改善策を、感情を交えず事実だけを記入。営業でのことだけでなく、会社の人たちに対して対応を失敗したときも書く。

 

迷惑かけられたことって覚えてるもんだから、こっちも忘れちゃいけない。

 

 

失敗だって意味がある、成功するかはわからないけど。

少しずつ、心がマヒしていっているのかもしれない話。

ちょーーーーっと、このままではあんまり良くないのだけど、現状、これ以外の方法が見つかっていないような話を少ししようかな、と。

 

私は『極力、イライラしたくない』という気持ちが中心にドーンとあるような人間なんです。

イライラしたり怒ったりすると疲れるし、それを解消しようと悪く言ってしまったり愚痴ったりすることが好きじゃないし、何よりそういう気持ちが、その人の顔や性格に表れてしまうと考えているタイプなので、イライラしないように楽観的に生きるようになった経緯がある。

 

でも、社会人になるとそうはいかない場面が多くて、毎日毎日なにかとあるわけですよ。あっちの事情、そっちの事情。こっちの気分にあっちの気分。言い分も、立場も、重要性の違いも、人数分ある。

 

なので、もちろん私の立場も、言い分も、気分も、体調も、いろいろある。でも!!私は『極力、イライラしたくない』わけなので、そういう「ハァ???」と思うような場面でも、ストッパーをかけてしまうんです。

 

以前どこかで、「期待しているから、その期待に反した行動を相手がとったことで怒ってしまう」みたいな言葉を見たときに「あ〜、なるほど確かにね。」と納得したんですよ。

「この人なら、〇〇だからこのくらいはやるはず」「その立場の人なら、ここまでは考えてくれるはず」…と、勝手に期待している私がいる。そりゃあ、思うよ。私以外のほとんどの人たちは、この会社に10年近く、またはそれ以上いる人たちばかりなんだから。

 

でも、そうじゃないのよ。どんなに大人だろうが長年いようが、完璧人間じゃないんだから。勝手に期待してる私がバカ。なので、期待しないこと=イライラしない!という方程式を私のなかの結構中心の方に植えつけしまったというわけ。

 

すると!!!

イライラはしないけれど、なんか人として大事な部分が少しずつ欠けていっている気がするです。「この人は、ここまでは気が回らない人だから、これを期待しちゃいけない」「この人はこっちのことを考えない人だから、これを期待しちゃいけない」…なんて、マイナスを前提で人と向き合うことほど、悲しいものはないな、と感じるようになった。

 

期待されない、って悲しいことなんですよ。

 

だけど、現状、私はこの方法しか見つけられていない。

 

 

少しずつ、心がマヒしていっているのかもしれない話。

 

武器を持て、と言われた話。

8月ですね、こんばんは。

毎日暑いですね…☀今年の夏こそダメかもしれないと毎年思っています(笑)

 

さて、今日は『武器』についてのお話し。

残念ながらRPGとかファンタジーとかそういうお話ではないです!

RPGなどのゲームは全っっっくやったことないんでサッパリなんです!

 

今日お話ししたいのは、大学時代のバイト先の店長に言われた言葉について。

店長はお説教の度に『武器を持て』、とよく口にした。

店長曰く、生きていくために、仕事をしていくうえで、『自分にだけしかない武器を持って、それを磨いていくことが大事だ』『そうでもしないと、お前みたいなのはすぐ潰される』と何度も何度も聞いた。当時は「またその話かよ…」な~んて思ったりしたものですが、今となっては「そうだな~」と実感実感。

 

組織のなかで上手~く過ごしていくうえで、自分が自分であるためには『私にしかないもの』で勝負していく必要がある。私の変わりなんていっぱいいる、仕事でも友人関係でも恋愛だって、私がいなくても回っていくもんなんです。だけど、私はそんなの嫌。

だったら、『武器』をもたないといけないな、と。

 

参考までに周りを見れば、その人その人が持つ『武器』が見えてくる。

例えば、『バカ正直すぎる真っすぐさ』とか『自分よければ全て良しな清々しさ』とか、『気遣う優しさで1番のポジションにいる』とか…ほら、もう、人それぞれ。

でも、カタチはどうであれ、それがその人が生きていくうえでの『武器』なんだろうな~と日々感じるわけですよ。するとますます「そのなかで自分の何で勝負しようか」と悩んでしまうわけで…。

 

正直、今はまだわからない。自分が持つ『武器』はなんなのか。

探して、自分の『武器』を磨いていかないとな~と、思った8月のはじまり。

 

武器を持て、と言われた話。

 

 

 

 

多分、恋じゃなかった話。

恋愛偏差値0の私ですが、2年3ヶ月続けてしまった片想いに終止符が打ちました。

なんだか、最後はあっけなくて、ヒンヤリと冷めてしまった想い。行き場がないのでここに捨てておこうかな~、と。

 

彼との出会いは入社式の朝でした。採用担当者や幹部の人たち以外で『はじめて会った会社の人』、それが彼。入社式だし初日だし…と、早く出社した私たち新入社員よりも、他の誰よりも早く来て準備をしていた姿を今でも覚えている。入口がわからない私たちに、教えてくれたのも彼だった。

 

1年先輩の、同い年の彼。気になる存在になるまで時間はかからなかった。

(なにより、見た目がストライクゾーンにギリギリ入っていたのもあるけれど…)

面倒見が良くて、気さくで、周りへの配慮もあって、ひよっこの私も研修中は何度か助けてもらった。話しかけてもらえると嬉しくて、もっと話したくなって、仲良くなりたくて…でも、その反面で社内で変なウワサがでてしまうことを凄く恐れて何も踏み出せなかった。

 

そうこうしているうちに、配属先が遠く離れてしまって、ますます接点がなくなり何もアクションを起こせず。なのに、気持ちは燻り続けて。その間に声をかけてくれた男性もいたのに、その度、どうしても彼と仲良くなりたい気持ちの大きさに気づかされた。

年に会える2~3回のタイミングばかりにかけて、なのにいつまでも進展させることができなくて、彼は私のことなんて眼中にもないんだろうな~…って思わされて、気づけばあっという間の2年とちょっと。バカみたいに、夢見てた。

 

だから、半年ぶりの今回のチャンスは絶対に掴むんだ!って、意気込んでいた。

でも、先日久しぶりに見た彼は、私の知っている彼じゃないように見えてしまった。

彼のことをほとんど何も知らないくせに、変わってしまった、前はあんな感じじゃなかった…なんて思ってしまった。変わったわけじゃなく、あの姿が本当なのかもしれないのに、私が好きだった彼じゃなくなった…なんて、失礼なことを勝手に思っては失望してしまった。

 

勝手すぎるけど、ショックでダメだった。

 

後は、一気に気持ちダダ下がり。少しでもいいから踏み出そうと思っていた足が数歩後退した気分。そして、思った。「こんな些細なことで嫌になってしまうなら、そんなに好きってわけでもなかったのかな?」…な~んて。

私は結局、私のなかの『勝手につくりあげた理想の彼』が好きだったわけで、『現実の彼』のことは何もわからずにいただけなのかも、って。

 

そう思ったら、スーッと心が冷めて踏ん切りがついた。

なんだか、片想いと言ってもいいのかと思うし、いい年して何やっているんだろうって恥ずかしくもなるのだけれど、もう、おしまい。

なんだか、書いていたら涙出てきた(笑)やっぱり、ちゃんと好きではあったのかな。

 

もっと早く行動できていたら、もっと自分に自信があれば…なんて、タラレバばっかり。ホントに馬鹿だな~、私。

 

見たくなかったんだ、年上の女性社員さんの隣で締まりのない顔で笑っている姿も、その人の取り巻きのように行動している姿も、なんか嫌だったんだ。ヤキモチとか嫉妬とかじゃなくて、そこにうまれてしまったのは申し訳ないけど嫌悪だった。勝手だね。

 

 

 

多分、恋じゃなかった話。

 

 

可愛がられる才能が大事

社会人3年目、直接関わっている後輩はいないけれど、社内全体をみれば後輩にあたる子がもちろんいる。新入社員と呼ばれることはなくなり、まだまだ2年目だからと大目に見てもらえる時期も過ぎ、キャピキャピしているだけではいられなくなってきた3年目。営業所内ではまだ若い方というだけで、先輩方には非常に良く可愛がってもらっている。(…と、私は感じている)だから、後輩ができたと同時に今とは違う扱いになるのではないかと、余計な心配をしている私もいる。

 

社会に出て、「可愛がってもらう」ことがどれほど大事なことか実感したのは、研修中の頃だった。私の同期は『可愛がられる才能』の持ち主ばかりだったから。

それは、タイプは違えどみんながみんな持っていて、正直羨ましくも思った。

容姿が良くて可愛がられる子もいれば、なぜか放っておけないから可愛がられる子もいて、仕事ができるから可愛がられる子もいた。若いから、というのも理由の1つではあると思うけれど、それだけじゃないと感じる。みんながみんな、色んな意味で人を引き寄せるようなタイプ。研修が明け、各々が配属された先で今日の今日まで誰も辞めずにきているのは、そんな理由もあるんじゃないかな~と、勝手に解釈している。

 

そんな姿を見ているから、余計に思う。

可愛がってもらえる人は、どんなかたちであれ仕事が続くのだろう、と。

何かあれば手を差し出してくれる人がいる、悩んだ時やツラい時に聞いてくれる人がいる、楽しく笑える場面がある…仕事ができるできないを、まず置いておいて「生きていける環境」が出来上がる。だから、頑張れる。

 

可愛がってもらう、ってなかなかできることじゃない。

難しいことだって、私が一番わかっている。どっちかというと、先輩とは仲良くできずに過ごした学生時代があるから、好かれる大変さも知っている。 

それでも、今は良いお手本がいるからね、同期という存在に。

若いからって可愛がってもらえる人じゃなく、人として可愛がってもらえるような人になっていきたいものだと、3年目を迎えたからこそ思ったこと。

 

可愛がられる才能が大事

 

 

 

 

 

 

人生で2番目のデブ期到来中

薄着になるこの季節、毎年毎年「痩せなきゃ~」が口ぐせになるのは女の子あるあるだと思うんです。なんだかんだ、毎年毎年痩せることもなく、太ることもなく現状維持を続けてきた私も今年はこのままではヤバいと…。

 

なぜなら…体重計にはここ数年見たことない数値が!!!!

数字に限らず、服も少しキツイかな…なんて。

 

ここでひとつ、太った原因を考えてみることに。

 

①もう!ホントに!純粋に!運動不足!!

 車での移動がほとんどで、歩くことすらなくなった生活…。

 営業所から駐車場までとか、室内を移動する時ぐらいしか歩くことがない。

 

②コンビニ立ち寄り過ぎ問題

 通勤時、外回りに出る度、帰り道、車での移動の際には必ず立ち寄ってしまうコンビ 

 二。1日に平均3回は行っている気がする。…で、その度にカフェラテやパンを買っ

 ては飲み食いする毎日。

 

③不規則すぎる偏った食生活

 朝からパンにおにぎり、菓子パン間食して、帰り道にまた菓子パン、帰って21時過  

 ぎて夕食をしっかり取る。…え、怖い、どんだけコンビニでパン買って食べてるの

 私…。そりゃデブだわ。

 

④姿勢が悪い

 デスクに座っている時に自分の姿勢を想像すると、まあ、だらしない。

 猫背で、足もだらしなく開いている。ヒドイ。

 

今、思い浮かぶ原因ってこの4つ。決してもともと痩せていたわけじゃないけど、以前と比べて〝変わったな″と思う生活習慣。

 

2年前の1番痩せていた時期で

別にめちゃくちゃ細かったわけでもないけれど…

身長153cm/体重49kg(BMI  20.9)

 

これが、今のヒドイ生活でどうなったかと言うと…

 

身長153cm/体重56kg(BMI  23.9)

BMIでいうと『標準体重・普通』とされる範囲だけれども、イヤイヤ、そういうところじゃないんだよ。体重の数字が全てではないのでね、あくまで目安として受け入れたいところ。でも、あんまりいい数字じゃない…おデブ(笑)

 

大事な見た感じが大問題!!お腹に二の腕に太ももに…ぽよっぽよ!洋服も可愛く着れない!これは夏がくる今、非常によろしくない…おデブ(笑)

 

ということで、できることからやっていこう!

とりあえず!脱☆コンビニ!全く行かないということは正直無理なので、コンビニに寄っていいのは1日1回まで!まずはそこから!

あとは、21時以降はガッツリ食べない!軽く済ませること!

 

どうしても、ストレス発散が食に向いてしまう私なので逆にストレス溜まりそうで不安なところもあるのですが、身体には良くないから!少しずつ少しずつ、ダメな習慣をなくしていくことをここに宣言。

 

ダイエットブログをするつもりはないけれど、24歳の生活の欠片としてここに記していく!

 

人生で2番目のデブ期到来中